
ケアギバーとは、誰かのケアにあたる「すべての人」のこと
みなさんは「ケアギバー」という言葉を聞いたことはありますか?
おそらく日本ではまだ耳慣れない言葉だと思うのですが、簡単に訳すと介護、介助をする人、誰かをケアをする人という意味になります。
介護、介助と聞くとお年寄りの介護や、病気の人の介助を思い浮かべるかもしれませんが、ケアギバーを指す範囲は非常に広く、自分がケアギバーでありながら実は気づいていないという人も多いと言われています。
ケアギバーとはつまり、誰かのケアにあたる「すべての人」のこと。介護までいかなくても家でお年寄りを支えている人はケアギバーですし、例えば赤ちゃんを世話するお母さんも立派なケアギバー。幼稚園の先生や保育園の先生などもケアギバーです。
アメリカ合衆国第39代大統領夫人、ロザリン・カーターの残した言葉に「世の中には、介護・介助をしてい
た人、現在している人、これからする人、これから介護・介助を必要とする人の4種類しかいない。それは世界共通のニーズ。」というものがあります。この言葉が示すように、人生で一度も誰かの介護、介助を受けない人
は存在しないのです。しかし、そんな身近な存在でありながら、ケアをする人材、つまりケアギバーのケアやウェルビーイングについては、あまり多くが語られません。
誰かのためにがんばる人のケアが圧倒的に足りない!
プロであろうがプライベートであろうが、結果的に誰かのケアをしているケアギバーは常に大きな責任を感じながら生活しています。誰かのお世話は体力的にはもちろんのこと、「自分が一歩何かを間違ってしまったら、ケアしている人がケガをしてしまうかもしれない」、「自分がちゃんとしていなければ、相手を傷つけてしまうかもしれない」など、精神的負荷も多くかかるものです。
ところが、そんな風に誰かのために頑張る人のケアが、圧倒的に足りていない現実があります。特に家族のお世話に関しては「お世話して当たり前」、「ケアするのも家族の役目」ということが前提になってしまい、その役割に押しつぶされてヘトヘトになっていても、誰にもその辛さに気づいてもらえず、一人苦しんでしまうケースが後を絶たないのです。
例えば「介護うつ」、「産後うつ」というような言葉が聞かれるのはそのためです。介護や介助を仕事にしている人も自分へのケアが足りていないことは何らかわりありません。ともすると「自分が好んで選んだ仕事なのだから、ケアが必要などというのは考えが甘い」と言われてしまうこともあるかもしれません。
しかし、自分をしっかりケアしなかったら、誰かを十分にケアすることは不可能です。誰かのためにがんばるほんの少しの時間を自分のために使うことや、ケアギバー特有のストレスに気づき、そのストレスにしっかり向き合い対処することこそが、マイファイが推奨するケアギバー・ケア™️なのです。
自分に優しいことは、わがままや身勝手なことではない
マイファイではもう一つ、「カインドフル・マインド™️」という考え方を提言しています。自分にも他人にも優しい選択をするということの大切さを説いたものですが、この考え方は、ケアギバーケアにも大切なものです。
誰かをケアする人が、ちょっとだけお休みをすること。家族に少しだけ甘えて、自分のためのケアに時間を使うこと。普段はケアに積極的とは言えないパートナーや他の家族に食事に連れ出してもらったり、お茶に連れていってもらったりすること……。そうしたささやかな自分のための時間は、どんな人の人生にとっても重要なものです。
また、同じ境遇にいる人が心の内を分かち合ったり、「ここなら安心して自分の悩みを聞いてもらえる」と思える居場所を見つけたりすることも、とても重要だと思います。
みなさんの人生はみなさんのためのものです。誰かをケアすることも大切だですが、5年先、10年先にみなさん自身が自分らしくおだやかで幸せな未来を歩いていることは、当然の権利でもあると思うのです。人生100年時代の到来は、今後ますますケアギバー・ケアのニーズ™️が高くなることを意味しています。マイファイでは今後も、ケアギバーにどんなケアが実際に必要になるかなどについて、お話していきたいと思っています。















